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年齢や体力に応じて自己修練 Iai Seiren Kisuikai 

プロフィールと御案内 profile&Info.

居合道清蓮亀翠会は、日本の文化である刀を通してサムライの心に触れ、自身を律して業(わざ)を練磨し、精神力を高める事を目指しています。
合わせて古人の動きを通じ、現代人が使わない筋肉をゆっくりとした立ち座り等で目覚めさせ、自然と足腰の鍛錬も。

師範館長 宮本旅庵翠雲

現役勤労者の居合剣士、幼少期から父の影響でサムライ文化の影響を受ける。
昭和から諸流を学び、現在に至る。 趣味は旅行と温泉、出先での古物商巡りと飲食。地元の海鮮やソウルフードをいただいたり、手打蕎麦屋さん巡り(沖縄・四国以外で X百余件訪問)。
うんちくのネタに十割蕎麦打、習った事は無く我流。コロナ非常事態宣言で外出が減った時期に蕎麦打の機会が増え、上達(したと思っている?)。個人的には、上品な更科蕎麦より、穀物感のある玄蕎麦の粗挽が嗜好に合います。

吉野山の或る山伏さん、熊野迄徒歩で5日の修行。蕎麦粉だけを持ち、水に溶いて飢えをしのぎ歩いたそうです。

飲の方では、ドイツ語圏各地のマイクロブルワリーとワイナリー訪問は20年来続けていましたが、2020年以降はコロナパンデミックで打ち止めの代わりに、国内出張の折は酒蔵や地ビール巡りに置き換え。

歴史上興味ある人物は、『平清盛』『北条泰時・時頼』『足利尊氏』、朝廷勢力からすると利権を奪った悪人の見方もあります。しかし、立ちあがるには相当な胆力が必要だったと思います。中央になびかず独自路線を生きたという点では、大陸と貿易もしていた奥州の『藤原清衡』。財と軍馬を充実させ、朝廷と別世界を進み、面白い生き方をした人だと想います。
下剋上の時代では、『北条早雲』『尼子経久』『上杉謙信』。桃山・江戸期ですと『島津義弘』『宮本武蔵』『黒田如水』『細川幽斎・三斎』や、東北を巡って伊賀で没した『松尾芭蕉』、『徳川吉宗』『上杉鷹山』。幕末では『島津斉彬』『鍋島閑叟』『坂本竜馬』『榎本武揚』『西郷南洲』といった面々。


清蓮亀翠会について

何やら座禅倶楽部の様な文字列に見えるかもしれません。『せいれんきすいかい』と読み、シンボルは蓮の花。仏教や禅に重要な意味のある植物です。『せいれん』にも色々な意味があります。日本刀を鍛造するために、砂鉄や鉱石から純度の高い鉄を作り出す事や、心が清く私欲がない事等。

当会では『れん』の字を汚れに染まらず、凛とした美しい花を咲かすという意味合から、『蓮』をあてて『清蓮』としました。『亀』は古来より長寿の象徴。北方の守護で、水の神玄武の原型。『翠』は、あおいとか緑を示す文字で、名前の翠雲から取り、汚れ無きものとの意もあります。

居合道では『心正しからずは、剣正しからず』の教えもあり、イミテーションの模造刀でも邪念なく修練を重ねます。老若男女に関わりなく、競う事無く、体調・体力に応じた稽古を心掛け、人生の大先輩90代の剣士も参加されています。

参加費月額:2,500円/別途登録費:1,000円(何れも先払) 

稽古にあたっての御注意

稽古場の飲食禁止という以外、難しい規定はありません。18歳以上であれば国籍や宗教は不問。世の中、多様性の時代です。クリスチャンの方もあり、仏教徒の方もあり様々。

とはいえ稽古場へ入室前後の挨拶をはじめ、武神・神前の礼や刀礼の他、目釘の点検等は日本刀を使う武道という枠内で不可欠です。
公共施設利用の為、会場によっては稽古に支障が出ない以程度の準備や、かたずけの御協力の他、御理解いただきたい点に、稽古前はピアス・ブレスレット・ネックレス等の装飾品や腕時計・印籠等、外して頂く様お願いしています。思わぬ時に刀の一部分に触れて、自分自身や周辺の方の怪我回避の為です。

当初、ジャージや柔道着の類でも結構ですが、模造刀と帯は必用です。他、膝サポーターを使用される方が普通です。



居合

居合の語源は定かでありませんが、『居て合わせる』つまり、室町末期に腰を落とした低い姿勢から、敵の攻撃状況に合わせて自身を守るに為派生した抜刀術。江戸期になると正座が武士の作法として定着したので、正座から始まる業が含まれている流派が多くなります。
刃を上に帯刀する『打ち刀(うちがたな)』を使用します。永禄年間に登場した『林崎甚助』という方が始祖とされていますが、諸説有り。

Youtube等で流れる刀や鞘をぞんざいに扱ったり派手な納刀は、見せて楽しませる明治以降の新興流派や、演劇世界の殺陣師系一派に見られるもので、私達の所作とは別のものです。命のやり取りをした後に、わざわざ大げさな動きをする必要は無く、ともらいの気持ちを持ちながら、品位を保って静かに刀を収めるというのが相手に対する礼と思います。

鞘を粗末に扱うのは安価な模造刀なら平気でも、明治前なら刀身の3〜5倍以上もした外装を薄給のサムライが大切にしなかったとも思えません。時代物の揃い金具で造った外装なら相応に高価。そんな鞘を杖代わりに床に当てる事もまず出来ないでしょう。


居合は帯刀した状態から抜刀し、鞘に納める過程を稽古します。抜刀した状況で向かい合う剣術とも異なり、現代のスポーツ竹刀剣道と別な体捌きです。作法も異なり剣道の延長線上にあるという事ではありません。
修練は極力無駄な動きをしない地味な所作、斬撃の一瞬に掛ける動きがありますが、その中に何を求めるかは、各自の思う処です。指導者により同じ流儀でも解釈の違いで、多少の異差は仕方なきものと思います。

当会は始祖林崎甚助を初代、長谷川英信を流祖とする無双直伝英信流をメイン。全国的に普及し、初心の方にも馴染みやすく、年齢体力に応じた修練が出来、業が豊富という特徴を持っています。他古伝流儀の体捌きも研鑽しています。


林崎甚助を祀る神社は、山形県の村山市に鎮座。居合剣士の詣でる所として知られていますが、私達の会場は東京都武蔵村山市になります。
打ち刀は応仁の乱(1467〜)前後、全国的に普及。奇襲に備え、片手打に適した60〜66センチ前後の刃渡りが、この時代のトレンドです。その頃には刀の捌き作法が或る程度確立されたと思うのですが、武術は口伝中心の閉鎖された世界。500年以上前の事であれば、尚更その多くは失伝していると思われます。
古い歴史があるとされる流派も、室町初期以前は打ち刀自体が普及していないのですから、刀剣史からみても打ち刀居合に限れば、一寸考え難い事です。



刀を扱う技術を学ぶ為に、刀姿の歴史や外装も知っておいた方が良いでしょう。体に合わない長い刀や長過ぎる柄は、瞬時左右や後ろ対応に適さず、柄は8寸が限度。柄糸の捲き方も多様で稽古向きでない物もあります。
小柄笄(こづか・こうがい)のある拵(こしらえ/外装の意味)や、半太刀拵も鞘の間にある金属が邪魔になります。棒の様な反りが少なすぎる刀や、大切先も居合には適しません。

稽古はイミテーションであっても、真剣を想定して所作を行う必要があります。真剣では刃がありますし、切先も鋭い為に抜刀時に鞘を削ったり割ったり、納刀時は切先が鞘に突き刺ささるといった事も出て来る訳です。
現代社会に於いては戦国期のサムライとは違い、外に出ると命を脅かされ、又斬り合う事は皆無ですが、抜刀から納刀迄無事に終わらせるという事が私達居合剣士の修行目的の一つといえるかもしれません。


居合 清蓮亀翠会第一会場

〒208-0012
東京都武蔵村山市緑ヶ丘1460‐1111 https://fureai.csplace.com/
tel:0425900755